マシン商会は祝町海岸通りにあった店で、明治25年の創業。諸工業機械機器、船舶用品などを扱った店で、字義通りの店。この起重機はイギリスのルードン商会の製品で、この店が輸入したもの。明治27・28年の戦役での戦利品を、門司兵器本廠が陸揚げのため三菱合資会社の岸壁に据えつけたもの。港湾機械化の初期製品。  
「写真集(明治・大正・昭和)門司」より。
 
     起重機(マシン商会)
 
右の写真は1938年(昭和13年)に開設した合資会社マシン商会大連支店の正面玄関。大連港で船具・塗料を販売していた。
建物のある場所は大連駅の近くで2010年10月現在もある。
 
上の写真は現在の様子(2010年10月撮影)
 
合資会社マシン商会大連支店
 
第二次世界大戦中の戦時経済統制で、船具販売業も私企業としての
活動ができなくなり地域毎に合同した配給会社になった。右の写真は戦時経済統制前の門司本店で、この建物は戦災で焼失した。
 
     マシン商会 (旧門司本店)
 
右の写真は、第二次世界大戦後、「門司港第一船溜り」の戦災の
焼け跡に建てた木造の門司本店の建物で、昭和48年まで使用した。
戦後の経済復興期に他の営業所(若松・福岡・神戸・横浜)の建設
配置を優先した為、本店社屋の建替えは後回しになった。
 
 
 
マシン商会(前門司本店)
 
 
門司港は国の輸出港として指定を受け明治22年に開港、明治中期から昭和初期にかけて、当時としては大規模な第1次・第2次の港湾改造工事がおこなわれた。その後アジア大陸への交通・貿易の玄関口として発展し、一時は神戸港を抜いて船舶の入出港全国一になったこともある。しかしながら、昭和40年代末からは、旅客・貨物の海陸空の輸送形態の発展に伴う変化により、定期船のコンテナターミナルを同港域内の太刀浦(たちのうら)に移しているが、地理的な制約から、門司港は次第に貿易港としての地位を他港に譲ることになった。現在では、港として栄えた当時の歴史的建造物を活用した、門司港レトロ観光地区として生まれ変わっている。
 
明治末期の門司港第一船溜りの風景
 
右の写真は現在の「第一船溜り」で、旧門司港に大小あわせて数箇所にあった艀溜りのひとつです。最盛時の昭和30年頃には、艀の数は約1200隻にのぼり、寄港船の岸壁やブイでの荷役作業に従事していました。
 
現在の門司港レトロ観光地区(旧門司港第一船溜り)の風景
(2009年撮影)
関門海峡の夕景(photo by mojiko.com)